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倉敷市の自然動態の推移:合併の昭和42年から令和7年まで

前回の記事で、倉敷市の人口推移(合計・男女)を実績値だけで眺めました。
今回はその次の段として、倉敷市 人口動態のうち自然動態、すなわち出生と死亡、そこから決まる自然増減に絞ります。

自然動態は、ざっくり言えば「その年に何人生まれ、何人亡くなり、その差で人口が自然に増えたか減ったか」です。推計値は入れません。倉敷市統計書に載る実績だけを使います。

この記事での時系列は、各年時点で合併後の倉敷市として公表された値を用いています。合併前の各自治体の単独値を遡及して加算した推計はしていません。

なお、人口の数値(前回の図)は多くが3月末現在、自然動態の数値は年ベースです(一部は年度ベース)。厳密には同じ年の数字でも「同じ瞬間のスナップショット」ではありません。大きな流れを読む用途では問題になりにくいと思います。

目次

出生と死亡、自然増減の推移

出所)倉敷市統計書より筆者がグラフ化。いずれも実績値。合併前自治体の単独値は含まない。
出所)倉敷市統計書より筆者がグラフ化。いずれも実績値。合併前自治体の単独値は含まない。

昭和42年(1967年)、倉敷市・児島市・玉島市の合併直後の年度は、出生が5,759人、死亡が1,915人、自然増減は+3,844人でした。振り返ると、出生が死亡を大きく上回る典型的な「自然増」の時代です。

出生数のピークは、昭和47年(1972年)の8,580人です。同じ年の自然増減は+6,492人で、当シリーズの中でも突出して大きい水準です。その後、出生は長期で減り続け、死亡は低位で推移していた時期を経て、じわじわと死亡が増えていきます。

自然増から自然減への転換点は、平成27年(2015年)です。この年の自然増減は−70人で、出生より死亡がわずかに上回りました。以降は、自然減が続きます。

直近では、死亡数が令和6年(2024年)に5,852人と多く、自然増減は−2,531人まで拡大しました(当系列の中では自然減の幅が最大の年)。令和7年(2025年)は、出生3,174人、死亡5,682人、自然増減−2,508人です。

人口推移とあわせて読む

出所)倉敷市統計書より筆者がグラフ化。いずれも実績値。
出所)倉敷市統計書より筆者がグラフ化。いずれも実績値。

総人口は、平成29年(2017年)に483,576人でピークを迎え、令和7年(2025年)は471,985人です。一方で自然動態だけを見ると、2015年頃からすでに自然減に入っています。

つまり、総人口が増え続けていた時期には、自然動態だけでは説明しきれない要因が働いています。典型は社会動態、つまり転入と転出です。転入出については、今後の記事で扱う予定です。

総人口が減り始めた近年では、自然減が足を引っ張りやすい局面に入っている、とも読めます。自然動態のグラフで「出生と死亡の差」が開き始め、そのまま街の課題の温度感につながっていきます。

普通出生率で見る「出生の勢い」

出所)倉敷市統計書より筆者が算出・グラフ化。いずれも実績値に基づく。
出所)倉敷市統計書より筆者が算出・グラフ化。いずれも実績値に基づく。

出生数の棒グラフだけだと、人口規模の変化とセットで見えにくいことがあります。そこで補助として、普通出生率(人口千人当たりの出生数、‰)の推移もグラフ化しました。

昭和42年(1967年)付近は、おおよそ18.5‰程度。昭和46年(1971年)前後には、おおよそ23.2‰まで上がる山があります。出生数のピーク帯と重なります。

その後は低下が続きますが、平成2年(1990年)から平成14年(2002年)ごろまで、おおよそ11‰前後で横ばいに近い「棚」があるように見えます。そこを下に割ったあとから、下落がより継続的に見える印象です。

令和7年(2025年)は、おおよそ6.7‰です。ピーク帯と比べると、出生の「勢い」がどれだけ小さくなったかが一目で分かります。

まとめ

倉敷市の自然動態を実績値で追うと、出生は1970年代前半にピークがあり、その後は長期で減少しています。
死亡は低位から徐々に増え、2015年に自然減へ転じ、近年は自然減の幅が大きくなっています。

一方、総人口はその後もしばらく増えていた時期があり、自然動態だけでは人口推移の全体像は説明できません。今後の記事では社会動態で、その残りを埋める予定です。

参考資料

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